楽農通信 No.54

自然教育論

01去年の10月13日家族や外孫などを連れてカヤの平高原へ紅葉狩りに出かけた。カヤの平高原は家から車で1時間ぐらいの所にあって、巨大なブナの林やキャンプ場、牛の放牧地などがある。ブナの林はキノコの宝庫で、秋になるとナラタケ、ムキタケ、ブナハリタケ、ナメコなどを仲間と取りに行っていたものだが、年々クマが出るようになって、とんとご無沙汰していた。
シートの上にゴザを敷き、テーブル代わりのベニヤ板を敷き、大鍋にだし汁、鶏肉、白菜、里芋、スーパーで買ってきたキノコなどを入れて、熱々のきのこ汁を作った。
肌寒い日だったが、暖かい鍋を囲み、みんなでにぎやかな昼食をとった。
そこへヒョッコリ、知り合いの信州大学のW先生。
「あれ、何でここにいるの?」「家族と紅葉狩り」「あっ、丁度いいや、笹井さん、大学で農業の話してくんない?」「いつ?」と言った瞬間(しまった、ダメダメと言って断ればよかったのに)と頭の中が真っ白。「笹井さんの空いてる日でいいよ」(その日はだめだと言って断れないぞ)「話すことなんかないよ?」「無農薬栽培とか、いろいろやってることでいいよ。まだ先のことだし」「じゃあ、考えとく」(この考えとく(・・・・)は、やるか やらないかということなのに、先生には、講演の内容を考えておくととられたみたいだ)
とんだ紅葉狩りになってしまった。

 

 

 

02後日、電話があり、12月18日、10:40~100分、自然教育論、受講生徒70名とのこと。
100分とは長い。そんな長いこと立っていられるか?しゃべることがあるか?今時の大学生とはどんな人種なのか?どの程度物を知っているのか?講義ってどういう風にしゃべるのか?何も分からない。
百姓の経験年数は40年を過ぎたが、漠然と生業としてやっていただけで、学問にはなっていない。
「まあ、先のことだし、リンゴを採り終ったらゆっくり考えればいいや」と先送りしておいた。
12月に入って講義の日は近付いたが昼はリンゴの荷作りがあるし、夜は年度末の会議や忘年会で忙しい。
いよいよ最後の一週間、家の仕事はみんなかみさんに任せ、部屋にこもって、いろんな切り口から原稿を書くのだが、まとまらない。
残り4日ぐらいになって、もう原稿はダメだ、写真にしよう!!となった。
一年の行事を順番に写真で見せながら、思い当たることをしゃべれば、あまり原稿を書かなくてもいいし、時間も稼げる。
幸い、いろんな行事の写真が撮り貯めてあったので、田舎っぽくて、若者受けするようなものを選んで順番に90枚、「農家の一年」というファイルに納めてパソコンのUSBメモリーに入れた。

 

 

 

03さて当日、講義を聴きに集まってくる生徒たちが、私の意に反して皆、春の若葉のようなみずみずしい青年たちで一安心。(下駄を履いて、腰に手拭いぶら下げて、という学生のイメージでいたのだが)あまり緊張することもなく「農家の一年」の説明を終え、少し農薬(化学物質)の話をして、最後に
「育てようと思って育てたわけではない赤(・)とんぼ(・・・)やカエル(・・・)のほとんどが田んぼで育っていること、作ろうと思って作ったわけではない田舎(・・)の(・)景観(・・)や田んぼ(・・・)の(・)ある(・・)風景(・・)が、百姓仕事から作り出されていることに気付くようになったとき、百姓は豊かで、誇らしいと思えるようになってきた」と締めくくった。
残った時間を使って生徒たちが講義の感想文を書いてW先生に提出。これが出欠票代わりだという。
後日送られてきた全員の感想文を読んで感激。
こちらが伝えたかったことのほとんどが受け止められていたこと、農業や農薬、村の行事・文化などへの考え方が深まったこと、守っていくべきものがあること、一人一人感動するところは違っていても、大なり小なり百姓仕事に感動してもらえたことなどが書かれていて、かえってこちらが元気をいただいた。

 

 
04人生初の教授体験、大変だったが百姓人生の中間総括といった感じでまとまった。
今時の大学生も捨てたもんじゃない。みんないい先生になれよー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Written by support on 7月 28th, 2014