Archive for the ‘笹井農場の「楽農通信」’ Category

楽農通信 No.60   no comments

Posted at 12:52 am in 笹井農場の「楽農通信」

今年も例年に劣らず、やりたい放題のお天気が続いている。

年の初めは、ほうきで掃けるぐらいの積雪だったのが、中旬になって降り続いた雪で、町の除雪費予算の底をついた。
屋根の雪やら周りの雪片付けに半月ぐらいの労力を費やした。
雪解けも遅れ、畑の片付け事も済まないうちからリンゴの花が咲き始め、花摘み作業が始まった。

幸か不幸か雨が降らなかったので毎日休むことなく働き続けて、ようやくここへきて例年の作業暦に追いついた。
我が家のラベンダー園のむらさき色のつぼみも伸びそろい、恒例になったラベンダー祭りを7月1日に予定して、みんなに案内を出した。

当日は、朝から全県に大雨警報発令。雨に打たれたつぼみは横に押し倒されている。
急きょ会場を我が家の中庭に移し、日よけのヨシズの上にビニールシートを張ってその下での宴会となった。
前日まで雨不足で乾き切っていた大地には恵みの雨となり、庭の草木も生気を取り戻し、祭りの主役となっている。
ラベンダー祭りと言っても、要は仲間と楽しく飲めればいいのだ。持ち寄った酒と肴はどれも逸品で、久々の雨音も身体にしみ込み、心地よい酔いがまわった。
翌日、雨が上がってラベンダー園に行ってみると、むらさき色のつぼみはちゃんと元どおりに立ち上がっていて一安心。
木陰に木のテーブルと椅子を置いて、ラベンダーが訪問客を待っている。

楽農通信

習い事

今年の3月いっぱいで村の大きな役が終わり、少しは時間が空くようになるかと思っていたが、なかなかそうならない。

年間100回以上在った出番が無くなるのだから、さぞかし暇になって、その穴埋めに何かをしようと思って、まだ役が終わらないうちに英会話の教材を買った。
温泉に入る猿で有名な地獄谷野猿公(こう)苑(えん)が近くに在って、冬になると考えられないぐらい大勢の外人さんがやって来る。
話しかけられると困るので、いつも目を合わせないようにしているのだが、それもなんだか情けない。そんな思いから始めてみようと思ったのだ。
届いた荷物が思いのほかに大きくて、開けるのは、役が終わってからにしようと、とりあえず棚の上に置いた。

料理なんかもいい趣味だと思って初心者用の料理本も買った。
この時期、魚売り場に出回る、青く輝く新鮮なイワシが、以前から気にかかっていて、いつかこいつをうまく料理してみたいと思っていた。
「初めてでも おいしく作れる魚料理」定番メニュー イワシの梅煮。
キャッチコピーが気に入った。

朝から一日雨が降りそうな日を待って作戦を開始。
午前中、隣町のスーパーで教本どおりの新鮮イワシ4匹を購入。昼飯を食べてから、定量の水をボールに入れ、昆布をつけてもどす。
出汁(だし)をとるなんてことも初めての経験だ。愛用の柳刃包丁でイワシの頭と、腹の硬いウロコの部分を切り落とし、内臓をかき出す。
水で洗って血合いを除いて水気をしっかり拭(ふ)いて下処理が完了。
手際が悪いから、あちこちに頭や内蔵、ウロコが散乱。ここで心を落ち着かせ、包丁やまないたを洗い、不要なものをきれいに片付けてフライパンを取り出す。
教本には、フライパンに昆布ともどし汁、梅干しを入れて中火にかけると書いてあるのだが、写真にはもうイワシが並んでいる。「どこでイワシを入れたんだ?」とかみさんに聞くと「そんなことは当たり前だから書いてないの」と言う。

初心者には、少々、適量、多め、少なめ、弱火、中火の加減が分からない。
煮立ったらアクを取り、調味料を加えてアルミ箔をかぶせ、弱火で15分、火を止めて冷めるまで置いてから器に盛り、庭の山椒(さんしょう)の葉っぱをあしらって出来上がり。
その日の晩酌の肴(さかな)と、家族の夕食の一品になったが、料理の手間の割には出来上がりの量が少なく、少し生臭さが残っていて評価はイマイチ。
その後、某有名メーカーの圧力鍋を買ってもらい、骨まで食べられるイワシの梅煮作りに挑戦。
今度はイワシを8匹に増やし、臭み消しにと生姜(しょうが)と山椒(さんしょう)をしこたま加えて後は教本通り。
結果は大好評。缶詰のように安心して骨まで食べられるのがたまらない。

それにしても半日がかり。
「これなら缶詰を買ってきた方がずっと簡単だなあ」と言うと、すかさず
「断然こちらの方がおいしいわよ!」とかみさんが言う。
「そうよ!分かった?」などと言われたら、立ち直れないところだった。
毎日の食事作りが、いかに合理的に手際よくなされているかを実感する。
家庭菜園、庭いじり、パソコン、オーディオ、ストレッチ、鍼灸(しんきゅう)などなど、
趣味にまで至っていない興味のある本が辺りに散らばっていて収拾がつかない。
見ないようにしている、あの棚の上の箱を、いつか開けることがあるのだろうか?
封を開けたら白い煙が!なんてことはないよネエ!

Written by support on 7月 21st, 2017

楽農通信 No.59   no comments

今年は冬の雪不足、春から夏の雨不足と、ずっと水不足に泣かされてきたのだが、秋になって一転、大雨、長雨となって田んぼが乾かない。

周りの田んぼは大型の機械で少しぐらいぬかっても平気で刈っていくのだが、我が家の小さなバインダー(刈って束ねる機械)ではぬかってしまって動けない。

ようやく晴れの日が続くようになって10月15日に稲を刈り、22日に脱穀をした。いつもの年の半月遅れの作業となった。

幸い、両日ともに秋晴れに恵まれて、サワサワという乾いた稲束の音が心地よい。米作り農家にとって稲()きが済んだときが一番の安堵(あんど)の時だ。

もうお天気のことを心配しなくてよくなるからだ。作柄もほどほどだった。

気分がいいので、近所に住んでいる子供や孫を呼び集めて祝宴を開いた。

この辺りではこの祝宴のことを「()(ばし)上げ」と呼んでいる。箸のようなものに稲穂を挟んで(もみ)を落とす道具(()(ばし))を片付けるという意味だ。

この時期になると共同浴場などで男衆が「おらうちゃ(我が家は)今日、()(ばし)上げだ」などと上機嫌に話をしていたのを思い出す。

今では米作り農家も減って、我が家がこの村で唯一の米作り農家となった。

 

楽農園

201611111楽農園は平成2年から、なるべく「自然に近いリンゴ作り」(無肥料、無農薬)を目指して始めた山際の20aほどのリンゴ畑のことだ。

 

山の木はしっかりと自分で生きている。「リンゴの木だって少し頑張れば自立できるのではないか」との思いから、どうにも試してみたくなり、前の年まで普通に農薬を散布して、普通に肥料をまいて、普通にせん定・草刈りをして、普通のリンゴを作っていたのだが、楽農園に関しては、そのすべての作業をやめた。

 

 

 

201611112 早生種の「つがる」は、収穫前の落果防止剤という農薬を散布しなかったので約半分のリンゴが収穫前に落ち、残りの7割がリンゴの中を食い荒らすシンクイムシの被害にあった。

 

それでも食べられそうなものもあったので、近くの市場に出してはみたが、見てくれの悪さから二束三文。残ったものを何とかさばこうと、知人に書いた手紙が「楽農通信 №1」。

そのまま続けられるとは思っていなかったので、№1とは書けなかった。

2年目からは、シンクイムシの被害を防ぐために一つ一つのリンゴに袋を掛けた。

袋のおかげでシンクイムシの被害はほとんどなくなり、リンゴの病斑も無くなってグンと見栄えが良くなった。

とはいえ、葉っぱが病気や虫で弱っているので、新しい枝は伸びないし、リンゴは「お山の木の実」のように小さくて、味もいまいちだ。

「つがる」の枝が、少し伸び始めるようになるまでに10年がたった。

その間に「ふじ」の木はすべて弱って枯れた。

雨が多いと病気が出るし、日照りが続くと虫が増える。

年によって作柄はまちまちだが、ここ数年は一人前のものが取れるようになってきた。変わらないのは収穫前の落果。今でも半分は落としてしまう。

毎年々々、花を摘み、摘果をして、袋を掛けて、ただ見守ってきただけなのに、少しずつ何かが変わって、いいものが取れるようになってきた。

無農薬栽培が品種によっては可能なことが分かってはきたが、晩生(おくて)のモモと、楽農園つがるの収穫時期が少し重なっていて、体にこたえるようになってきた。

 

 

「私たちは、今や分かれ道にいる。どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うこともない。長いあいだ旅をしてきた道は、素晴らしいハイウェイで、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行き着く先は災いであり、破滅だ。もう一つの道は、あまり人も行かぬが、この道を行く時にこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる。そして、それはまた、私たちが身の安全を守ろうと思うならば、最後の、唯一のチャンスといえよう。とにかく、私たちはどちらの道をとるか、決めなければならない。」(レイチェル・カーソン著「沈黙の春」17章 「べつの道」の一節より)

 

こんな文章を読むと、また、「グラッ」としてしまうのだが、ここへきて、諸々衰えて「べつの道」ではない「その道」を選ぶことになった。

長らく続けてきた楽農園を、今年で閉園することにした。

楽農園のリンゴを長きに渡って支えてくださった方々にお詫びと感謝を、また、共に落ちたリンゴを拾い、残ったリンゴをさばいてくれた、上さんに感謝。

本当にありがとうございました。

普通栽培のリンゴやモモは、今までどおりに続けますので、引き続きよろしくお願いいたします。

201611113

Written by support on 11月 11th, 2016

楽農通信  No.58   no comments

ミズキの伐採

091402山のリンゴ畑の小屋の脇に、大人が両手でやっと抱えられるぐらいのミズキが立っている。どこかから飛んできて芽を出したもので、植えたものではない。

ミズキは成長が早く「早めに切らないと難儀なことになるなあ」と思いながらも、「薪にするにはもう少し太らせてから」などと迷っているうちに、切る時機を逸していた。

幹は直立して、1mぐらいの間隔で車状に4~5本の水平な横枝を出し階段状になる。

高さは、12~13mぐらいあるだろうか、横枝も5~6mぐらいに伸びて小屋の屋根にも掛かっている。

家主は弱るし、ミズキは太る。自分で切れるのは今年が最後のチャンスかと思い、伐採を決断した。

プロのように、木の上で両手を使ってチェーンソーを操る自信がなかったので、すべて片手で使えるノコギリ(手ノコ)で伐採する段取りを考えた。

091401前日、手ノコとチェーンソーの目立てを入念に行い、滑らないようにと新しい手袋と地下足袋を用意し、安全帯の点検をした。

一番問題なのは、腰痛持ちの家主の生身だ。

ハシゴをかけて一番下の枝に乗り移り、すぐ上の車状に出た横枝を1本切り、空いた隙間から一段高い横枝へと登る。それを繰り返し、手ノコで切れるぐらいの幹の太さの所まで登り詰め、幹の先端を切り落とす。考えてみればミズキは木登り伐採の入門にふさわしい木だ。後は足場にしてきた枝を落としながら下りていく。切られた枝は下枝に引っかかってから落ちるので穏やかに落ちていく。横枝を全部払い終わり、地面に降り立ち一休み。ここまでは作戦どおりにうまくいった。

後は、小屋とリンゴの木の間の2mぐらいの空地にうまく切り倒すことだ。

ミズキのなるべく高い所にロープを結びつける。

チェーンソーを取り出し、倒す方向に受け口を作り、追い口を切っていく。

刃が木の重みで挟まれないように、切り口にクサビを打ち込み、慎重に切り進む。

最後は2~3㎝幅の切り残した部分(つる)と、クサビで木を支えている状態になる。

後は、私がくさびを打ち込んで徐々に倒していき、倒れ始めたら上さんがロープを引いて誘導するという手はずだ。

私が、クサビの打ち込みに難航しているうちに、上さんがロープを軽く引いたらミシミシといってミズキが倒れ始めた。下敷きにならないようにと上さんが横に逃げたが突然姿が消えた。足を踏み外して土手から転げ落ちたのだ。しばらくしてロープを伝ってはい上がってきた上さんは、誇らしげに一言。「うまく倒したでしょう」

お互い、近年にない緊張と達成感のある仕事だった。

次の日、かつて経験のない人生最大の全身の筋肉痛を体験することとなり、上さんの顔の2か所に黒いアザが現れた。その後、夫婦げんかではないと釈明するのに伐採の一部始終を何回も話す羽目になった。

後日、倒したミズキを玉切りし、割って、積み上げたら、半月分ぐらいの(まき)ができ上がった。冬になってミズキの(まき)を見る度に、この日のことを思い出すに違いない。

燃料の自給にはけっこう *ずく(・・)と体力がいる。

*ずく:長野の方言で、やる気、根性、気力、持久力などに似ているが、表現するに適当な言葉が

見つからない

Written by support on 9月 14th, 2016

楽農通信 No.54   no comments

自然教育論

01去年の10月13日家族や外孫などを連れてカヤの平高原へ紅葉狩りに出かけた。カヤの平高原は家から車で1時間ぐらいの所にあって、巨大なブナの林やキャンプ場、牛の放牧地などがある。ブナの林はキノコの宝庫で、秋になるとナラタケ、ムキタケ、ブナハリタケ、ナメコなどを仲間と取りに行っていたものだが、年々クマが出るようになって、とんとご無沙汰していた。
シートの上にゴザを敷き、テーブル代わりのベニヤ板を敷き、大鍋にだし汁、鶏肉、白菜、里芋、スーパーで買ってきたキノコなどを入れて、熱々のきのこ汁を作った。
肌寒い日だったが、暖かい鍋を囲み、みんなでにぎやかな昼食をとった。
そこへヒョッコリ、知り合いの信州大学のW先生。
「あれ、何でここにいるの?」「家族と紅葉狩り」「あっ、丁度いいや、笹井さん、大学で農業の話してくんない?」「いつ?」と言った瞬間(しまった、ダメダメと言って断ればよかったのに)と頭の中が真っ白。「笹井さんの空いてる日でいいよ」(その日はだめだと言って断れないぞ)「話すことなんかないよ?」「無農薬栽培とか、いろいろやってることでいいよ。まだ先のことだし」「じゃあ、考えとく」(この考えとく(・・・・)は、やるか やらないかということなのに、先生には、講演の内容を考えておくととられたみたいだ)
とんだ紅葉狩りになってしまった。

 

 

 

02後日、電話があり、12月18日、10:40~100分、自然教育論、受講生徒70名とのこと。
100分とは長い。そんな長いこと立っていられるか?しゃべることがあるか?今時の大学生とはどんな人種なのか?どの程度物を知っているのか?講義ってどういう風にしゃべるのか?何も分からない。
百姓の経験年数は40年を過ぎたが、漠然と生業としてやっていただけで、学問にはなっていない。
「まあ、先のことだし、リンゴを採り終ったらゆっくり考えればいいや」と先送りしておいた。
12月に入って講義の日は近付いたが昼はリンゴの荷作りがあるし、夜は年度末の会議や忘年会で忙しい。
いよいよ最後の一週間、家の仕事はみんなかみさんに任せ、部屋にこもって、いろんな切り口から原稿を書くのだが、まとまらない。
残り4日ぐらいになって、もう原稿はダメだ、写真にしよう!!となった。
一年の行事を順番に写真で見せながら、思い当たることをしゃべれば、あまり原稿を書かなくてもいいし、時間も稼げる。
幸い、いろんな行事の写真が撮り貯めてあったので、田舎っぽくて、若者受けするようなものを選んで順番に90枚、「農家の一年」というファイルに納めてパソコンのUSBメモリーに入れた。

 

 

 

03さて当日、講義を聴きに集まってくる生徒たちが、私の意に反して皆、春の若葉のようなみずみずしい青年たちで一安心。(下駄を履いて、腰に手拭いぶら下げて、という学生のイメージでいたのだが)あまり緊張することもなく「農家の一年」の説明を終え、少し農薬(化学物質)の話をして、最後に
「育てようと思って育てたわけではない赤(・)とんぼ(・・・)やカエル(・・・)のほとんどが田んぼで育っていること、作ろうと思って作ったわけではない田舎(・・)の(・)景観(・・)や田んぼ(・・・)の(・)ある(・・)風景(・・)が、百姓仕事から作り出されていることに気付くようになったとき、百姓は豊かで、誇らしいと思えるようになってきた」と締めくくった。
残った時間を使って生徒たちが講義の感想文を書いてW先生に提出。これが出欠票代わりだという。
後日送られてきた全員の感想文を読んで感激。
こちらが伝えたかったことのほとんどが受け止められていたこと、農業や農薬、村の行事・文化などへの考え方が深まったこと、守っていくべきものがあること、一人一人感動するところは違っていても、大なり小なり百姓仕事に感動してもらえたことなどが書かれていて、かえってこちらが元気をいただいた。

 

 
04人生初の教授体験、大変だったが百姓人生の中間総括といった感じでまとまった。
今時の大学生も捨てたもんじゃない。みんないい先生になれよー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Written by support on 7月 28th, 2014

楽農通信 No.53   no comments

140周年記念公演

素人おたのしみ芸能団「らくのう座」素人おたのしみ芸能団「らくのう座」も結成して22年目に入った。

座員は10名。民俗芸能を中心とした演目がほとんどで、田舎のお祭りや、敬老会、保育園、介護施設などからお声がかかり、公演回数も700回を超えた。

大抵は、ちまちまンとした会場での公演だが、まれには、誰も見てはいなかったけれど、大きな市民会館ホールでの成人式公演なんていうのもあった。

 

今回、長野市のある小学校の140周年記念事業に「らくのう座」公演を、という話をいただいた。

日本中の小学校が、明治6、7年ごろに開校して今年辺りが140周年だという。

依頼をいただいたPTAの女性教養部長さんに「何かの前座ですか?」と尋ねると

「違う」と言う。

第一部が「らくのう座」公演で、第二部は地域の歴史の講演を地元の公民館長が話されるのだと言う。

「節目の大切な記念事業なのに、本当に素人の、父ちゃん母ちゃんたちの「らくのう座」の公演でいいんですか?」と聞くと

「お願いします」と言う。

「そんなら」と思いつつも、それなりの記念公演にしなければと、いつもの公演のときよりは、ずっとけいこ(・・・)を積んで、新しい衣装もみんなで縫った。

 

当日は、座員全員の都合がつき、10人で緊張気味に現地へ向かった。

長野市というからもっと町場を予想していたが、その小学校は田んぼの中に建っていた。

学校に着くと早速会場の舞台の上で、位置取りやら、通しげいこ(・・・)をして、教養部の方々の手作りの昼食をいただいた。

居合わせた教養部長さんに「どうしてらくのう座に決まったんですか?」と座員の一人が尋ねると

「みなさん今日はありがとうございます。この記念事業を行うに当たり、校長先生にお聞きしましたら、今回は150周年じゃなくて、140周年記念ですから、気楽に楽しくやってくださいと言われました。らくのう座になったのは、全体の予算が5万円しかなかったので、*子ども劇場の方にご相談したら、らくのう座さんならやってくれるんじゃないかと、お聞きしましたので決めさせていただきました。みなさん、今日は気楽に、楽しくやってください。」と

実に、はっきりと、さわやかなご挨拶をいただいた。

 

「ところで、150周年記念のときは呼んでもらえないよねえ?」と長老座員

「さあ、私もいませんし」と部長

「私たちも生きてるかどうか分かんないよねえ」と長老座員

 

ともあれ公演は始まり、先生と来賓と地域の方々に囲まれて、最初は硬くなっていた160人の子供たちも少しずつ氷が解け、後半には、みんな体を揺らして応援をしてくれた。

1107-2御神楽(みかぐら)水口囃子(みなくちばやし)八木(やぎ)(ぶし)(とり)さし(まい)大黒(だいこく)(まい)屋台囃子(やたいばやし)と、みんな古めかしい演目だったが、受け継がれてきた子どもたちの遺伝子に少しは触るものがあったのだろうか。

最後に教養部の女性からダリアの花束をいただき、盛大な拍手もいただいた。

「みなさんありがとう。お元気で」とってもいいお客様たちでした。

 

 

*子ども劇場:生の演劇を子供たちに見せようと活動している全国組織の団体

Written by support on 11月 7th, 2013

楽農通信 No.52   no comments

楽農通信   去年新築した長男夫婦の家から 我が家までの15mぐらいの空き地を、雑木の中庭にしようと春からせっせと庭作りを始めた。

昼日中からそんなことをやっていては、かみさんの機嫌が悪いので、飯前仕事や雨降り仕事にこっそりとやった。

畑のくろ(畔)に積んである、抱えてやっと持ち上がる程度の平たい石をコツコツと集め、5060個の飛び石を敷いた。

飛び石は見た目もいいが、石の面積分の草取りが省けることもありがたい。

雑木は、近くの山から、これまた一人でこいだり持ち上げたりできる程度のコナラやカエデの仲間、クロモジ、ダンコウバイ、ハナイカダなどを移植した。

せいぜい2mぐらいの高さで、林というには小ぶりだが、そのうち立派な林になるだろう。

下草も、ニリンソウやチゴユリ、フタリシズカ、ホタルブクロ、イカリソウ、アマドコロ、ホトトギスなど、近くの山中で簡単に手に入るものをこいできて植えた。

今年は雨不足で水くれが大変だったが、ほとんどが根付いてチョッとした雑木林と散歩道ができた。程よい傾斜が なんとも自然な感じを引き立たせている。

この中庭を一番喜んだのは孫たちだった。

飛び石を渡るのがことのほか面白いらしい。

110ヵ月になった長男たちの娘(めぐり)も5才(朔太郎)、9才(さわ)のいとこ(・・・)たちと一緒になって両ひざにすり傷の勲章をつけながら飛び石を渡っていく。

夕方、仕事を終えて風呂に入り、中庭に置いたベンチに座り、飛び回る孫たちを眺めながら飲む冷たいビールは実にうまい。贅沢な至福のひとときだ。

楽農通信

古代インドでは人生を4つの時期(四住期)に区切るという。

学生期(がくしょうき)」師について学び、禁欲的な生活を送る。

()住期(じゅうき)」家庭を作り職業に専念する。子供を育て上げる。

(りん)住期(じゅうき)」家とも職業とも離れてやりたいことをやる。

遊行期(ゆぎょうき)」共同体に回帰することなく孤独な一人旅の異空間に突き抜ける。

          ただ、遊行期を生きる人間は極めてまれで「聖者」とされている。

ある意味勤め人は「家住期」から「林住期」への切り替えが分かりやすいが、定年なしの百姓ではどこまで行っても「家住期」が終わらない。

強いていうならば、中庭の雑木林のベンチに腰を掛け、冷たいビールを飲んでいるときぐらいが「林住期」であろうか。ささいな「林住期」である。

まして「遊行期」など「臨終期」より前に来るとは思えない。

Written by support on 8月 4th, 2013

楽農通信 No.51   no comments

アグリネイチャースチュワードである笹井農場の「楽農通信」No.51で、今年の稲作の様子をお知らせいただきました。

笹井さんは水田ビオトープにメダカや多様な水棲生物を保護され、お米やリンゴ、桃などの栽培には農薬や化学肥料に依存しない、まさに「自然共生農業」を経営されています。

また、農閑期には近所の農家の方々と郷土芸能団をつくられ楽しまれています。

これから、定期的にこの「楽農通信」を転載させていただきます。(松木洋一)

田の仕事

種(たね)播(ま)き

田の仕事今年の田んぼは、収量的にはいま一歩だったが、仕事の出来は上々であった。

我が家の田んぼは道より4mぐらい下がっているので 道からよく見渡すことができる。

道とは直角の方向に籾(もみ)を筋状に播(ま)くので、(直播(じかまき):苗を植えるのではなく、直接田んぼに籾を播く)道から眺めると稲の通りがよく分かる。

通りの間隔は30㎝、通りの数を数えてみたら なんと八十八通りあった。(約27m)

縁起のいい田んぼだったのである。

奥行き75mの田んぼに、なるべくまっすぐにと機械を操り 籾を播いていくのだが泥(どろ)田(た)の中なので なかなか まっすぐにはいかない。

ところが今年は 気持ちがいいぐらいにまっすぐに播けたのである。

代(しろ)掻(か)きをして水を張り、直播の日の朝 水を抜き、泥田にしてから籾を播く。

水を抜くのは、籾(もみ)が芽を出すときに空気が必要なことと、地温を上げるためだ。

一週間もすると黒い泥の上に白い針先のような芽が出始める。

通りの横から見たのでは分からないが、地面に顔を近づけて縦の方から見ると通りが通って 細くて白い筋(すじ)が日に日にはっきりと見えてくる。

平均して10㎝に2~3本 芽が出たところで浅く水を張る。

芽は水没して しばらくは見えなくなるが、4~5日もすると広い鏡(かがみ)田(だ)に淡い緑色のまっすぐな線が現れる。

日ましにその存在を明らかにして道からも見えるようになる。

そのまっすぐな 明るい緑の線が、なんともさわやかで すがすがしい。

その道は保育園の行き帰りの親子の通り道にもなっているが、そんなことを少しでも感じてくれる親子がいたら、百姓爺(じい)さん小(こ)躍(おど)りをして恵比寿(えびす)顔(がお)になる。

稲架(はざ)

10月6日 バインダーという 稲を刈って束ねる機械を使って稲刈りをした。

次の日の午前中に稲架(はざ)の骨組みを作り、午後から大勢で、刈り倒した稲を集めて稲架に掛け、みんなで収穫祝いのおいしい酒を頂いた。

約半月、稲架で稲を天(てん)日(ぴ)乾燥してから脱穀(だっこく)をする。

今は、ほとんどの家がコンバインという刈り取り・脱穀を一緒にやってしまう機械で収穫して、火力乾燥するようになったので、稲架もめっきり少なくなった。

そんな稲架作りにも上手下手がある。

我が家の田んぼでは稲の通りと同じ方向に、70mぐらいの稲架を2本立てる。

これも、なかなか思ったように、まっすぐに、水平に、均等にというわけにはいかないのだが、今年は 惚れ惚れするぐらいにうまくいった。

あまりの出来のよさに、用もないのに稲架を眺めに遠回りをしたこともある。

種播きや、稲架がまっすぐ出来たところで別に何ということもないのだが、ただ 少し 誇らしいのである。

田の畔の緑と、稲架の黄金色との「裂き織り」のような景色も、一年のうち わずか半月見られるだけなのである。「無常」を感じることのできる季節と歳になった。

とりどりに 色あはれなる秋草の 花をゆすりて 風ふきわたる     伊藤左千夫

長野県下高井郡山ノ内町上条 4535  笹井昇一・敦子

〒381-0401  Tel 0269-33-4016  Fax 0269-33-3163

Written by support on 11月 16th, 2012